旧葛西海岸堤防

身近な昭和の遺構を巡るシリーズ(笑)その2の2。

前のエントリーと同じ堤防の延長上だが、掲げてあるネームプレートの表記は微妙に異なる。
この辺り

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金網で覆われ、歩道もない。見逃しそうだが、少し途切れてもう一箇所。近寄って見たところで楽しいものではないが、この保存のされ方はもの悲しい。

車道を挟んだ反対側に記念碑がある。プレートが鏡面仕上げで撮影には不向き。

この堤防の活躍は、国土画像情報閲覧システムこの画像で顕著にわかる。昭和49年の状況だが、堤防の先は埋め立て中。

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旧海岸堤防

身近な昭和の遺構を巡るシリーズ(笑)その2。

道路沿いの石垣が、一部異彩を放っている場所がある。それが旧海岸堤防跡。この辺り


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白いオブジェは、当たり前だが後で建てられた石碑。かつてこの地は「将監の鼻」と呼ばれたと記されているが、その由来は石碑の説明文を読んでも判然としない。

堤防のこちら側は陸かというと、江戸〜明治にかけて埋め立てられたらしいのだ。その辺はこちらに詳しい。

そして、堤防跡は近所にもう一箇所あった。

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都電軌道跡

小学生の時、一時都電で通学していた。利用を初めて間もなく、都電が廃止になりバスに取って代わったのだが、子供心にバスは都電ほど心ときめかなかったのを覚えている。現存する都電は荒川線一系統のみだが、当時これは系統番号で言えば32番線。その32番線と大塚駅で接続していた16番線を利用していた。荒川線は専用軌道の走行だが、都電の(恐らく)ほとんどは一般道を走り、軌道内は車も通行可なので、渋滞にも巻き込まれる。道路中央に位置する島型の停留所は安全地帯と呼ばれるものの、現存すればちょっと怖い思いをしそうである。

そんな姿を消して久しい都電の軌道が保存展示されてあるという情報をふとしたことで得たので、行ってみた。場所はこの辺り

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未だに夏を思わせる日射しを避けるかのように、親水公園内の木陰にひっそりと設置された軌道跡。実際は写真奥の道路上に敷設されていたらしい。

説明板によれば、元は私営路面電車の城東電車で、昭和17年に都電になったが、昭和27年に廃止され変わって都内初のトロリーバスが走ったとか。

頻繁に見学者が訪れるでもなく、静かに昭和の面影を残している。当時はこれほど暑くはなかっただろう。

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